阿波おどりは文字どおり「阿波」―――現在の徳島県の踊りです。その歴史は古く、今から400年ほど前に始まったといわれています。
歴史上で阿波おどりが最初に登場するのは、かの織田信長や豊臣秀吉の時代です。民衆のエネルギーが「踊り」というかたちになって発展し、お伊勢参りや風流がその原型になったのではないかといわれていますが、残念ながらそれらを決定づける歴史的資料はほとんどありません。
したがって、現在において阿波おどりの起源は諸説あり、としか言いようがありませんが、「阿波の国」徳島においてこの踊りは確実に定着し、継承されています。

 

高円寺阿波おどりの歴史

平成18(2006)年に第50回記念大会を迎えた高円寺の阿波おどりは、昭和32(1957)年に第1回大会が開かれて以来、参加者や演舞場、観客動員数を増加しながら現在にいたっています。
徳島では土着の踊りとして発展してきた阿波おどりでしたが、高円寺では商店街の町おこしイベントとして始まりました。
名称も、当初は「高円寺バカ踊り」でしたが、「高円寺阿波おどり」を経て、今では「東京高円寺阿波おどり」へと変化し、発展してきています。

 

パートと役割

阿波おどりは、お客さんに花道を作ってもらい、その中に躍り込んでいく踊りです。一つの団体を「連(れん)」と言い、高張り提灯を先頭に、踊り手とお囃子が一つの連として躍り込んでいきます。踊りの種類も小さな子供のハッピ踊り、鳥追い笠を付けて踊る女踊り、大人のハッピ踊り、着流しのゆかたを着ておどるゆかた踊りなどがあります。

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